2010年09月04日

ギリシャとスゥェーデン―煙突掃除人の矜持―Ⅳ(おしまい)

さて、更に翻ってスゥェーデンの『煙突掃除屋さん』と日本の事業仕分けに引っかかっている『天下り連中』とはどうだろう?
「煙突掃除の親父さんの爪の垢でも煎じて飲め!」と思うのは私ばかりではあるまい。

人はその生き方によって値打ちが決まるのではないのか?
金のある無し、地位のある無しではあるまい。

なんの存在意義もない有名無実の独立行政法人や省庁ぶら下がりの財団法人などで法外な役員報酬をむさぼっていた連中は、死ぬ間際「俺の人生は充実した良い人生だった。」と思えるのだろうか?
恥ずかしくないのか?

税理士という仕事をしていると、日本の中小企業の親父さんたちが概ね真面目であることがよく分かる。
天下り役人連中のように厚かましく大胆に人の金をむさぼるような人間は誰もいない。

少ない経費をさらに削って何とか利益を出そうと必死なのだ。
この絞り出された利益はもちろん納税の源泉である。
日本において民間はそのほとんどが生真面目で一生懸命なのだ。

EUではやはり生真面目なドイツが様々な経済的矛盾のツケを払わされそうである。

日本においても、これ以上、「官」のツケを「民」が払わされるのはまっぴらである。


おしまい  

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2010年09月03日

ギリシャとスゥェーデン―煙突掃除人の矜持―Ⅲ

昔から私は、ヨーロッパとりわけ北欧は、なんだか国民のいろいろなことに対する意識のレベルが高いな、と感じていた。
政治や官僚もあまりズルをしようとしない。
国民もそれを信頼しているから、ガツガツしていない。

男女平等も進んでいるので、男も女も淡々と静かに自らの役割を果たしている。
そんなイメージがあったのだが、この煙突掃除屋さんの言動や生き方は、まさに私や家内にそれを見事に証明してくれたのである。

さて、再び翻ってギリシャを見てみると、EUは救済の条件として、ギリシャ国民へ税金や年金などで厳しい要求を突きつけた。

これに対してギリシャ国内ではデモや暴動が頻発している。
「冗談じゃねえ!国や政治が悪いんだ。なんで国民に尻拭いをさせる。」という訳である。

確かに国民に対する人気取り、お手盛り政治のツケが回ってきているのは否めない。
かといって、ヤダヤダと駄々をこねたところでどうしようもあるまい。

どこかでツケは払わなければならないのである。
ギリシャ国民がまともな金銭感覚や納税意識を身につけていくことを願うばかりである。  

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2010年09月02日

ギリシャとスゥェーデン―煙突掃除人の矜持―Ⅱ

ギリシャの混乱を取り上げる一方で、違うTV番組でスゥェーデンの政治状況を放映していた。
スゥェーデンでは、国会議員はフルタイムの専門議員と兼業のいわばパートタイム議員に分かれる。
立場は違うが、それぞれが責任を持って自らの職務に当たっている。

この中で面白かったのは、ある兼業議員へのインタビューであった。
彼は、本業は煙突掃除屋さん。
奥さんとの共稼ぎで、なんと奥さんは税理士ということであった。

それはともかく、この煙突掃除屋さんいわく
「自分は以前、専業の国会議員になったことがある。
ところがその報酬が高すぎることに驚き、自分はこんなにお金は要らないと思った。
それで、元々の職業である煙突掃除屋との兼業に戻った。」
彼は淡々としゃべる。

税理士の奥さんは何も言わなかったのだろうか。
逆に、私のかみさんが何らかの公務に就いて「報酬が高すぎるから」とそれを辞退しそうになったら黙ってOKを出せるだろうか。
私は自信がないが、潔癖なかみさんはその報酬に疑問を持ったらそれくらいのことはするかもしれないな、と思った。

ま、そんなことはともかく、TVを見ていた私もかみさんもこの煙突掃除のおじさんには感心してしまった。  

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2010年09月01日

ギリシャとスゥェーデン―煙突掃除人の矜持―Ⅰ


ギリシャ経済が破綻した。
TV報道などによるとギリシャは労働人口の4分の1が公務員ということである。
しかも年金の支給は53歳から、働いていた時の収入の90%を保証するというとんでもない優遇がなされている。

素人が考えてもこれじゃあ金が足りなくなるだろうな、と分かる。
おまけにラテン気質特有のいい加減さで、普段の金銭取引でも領収書など出さないのが当たり前らしく、課税所得の把握がかなり難しいらしい。
国家全体で3分の1くらい漏れているのではないか、とまで報道されていた。

それにしても労働人口の4分の1が公務員とは・・・。
私は以前このブログの中で、いくらでも指摘される独立行政法人や省庁ぶら下がりの財団法人などの実態を見て「このままでは日本は1億総公務員化しちゃうんじゃないの。」と書いたことがある。

ギリシャでも公務員はよほど居心地が良かったらしい。
増殖に増殖を重ねてとうとう働く人の4分の1が公務員というとんでもない割合にまでなってしまったのだ。

つづく  

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2010年08月31日

助さん格さんの気持ちⅡ(おしまい)

この、印籠を掲げて「へへーっ」と恐縮する相手に対峙しているときの「助さん格さん」は、どんな気分なのだろう?と考えてみる。
ま、気分はともかく、ポジションとしては、さしずめ「絶対的権力の側(かたわら)に居る有能な実務担当者」といった位置付けになるのだろうか。

腕の立つ「助さん格さん」ほど「有能な実務担当者」という訳にはいかないが、私の気分はこのときの「助さん格さん」的なのかも知れない。

さて、ドラマ水戸黄門はいつも最終的に悪い奴をバッタバッタとやっつけてハッピーエンドである。
しかしながら、祖母の前で「へへーっ!」となるのは何の罪もない普通の人たちなので多少お気の毒ではある。

別に意地悪な気持ちという訳ではないが、これからもこの「ちょびっと助さん格さん的気分」を味あわせてもらえるのであれば、祖母のお伴もまた楽しからずや、である。

おしまい  

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2010年08月30日

助さん格さんの気持ちⅠ


百歳になる祖母のお伴をしてあちこち行っていたことは以前書いた。
その祖母が巻き起こすコミュニケーションの面白さも以前書いたとおりである。

祖母は車椅子にじっとしていると、寝ているのか起きているのか分からないことがある。
もっといえば生きているのか死んでいるのか心配になることすらあるのだ。(婆ちゃんごめん!)
その百歳の老人が飲食店の店長を呼びつけて営業活動を仕掛けるなどという場面は、普通はなかなか遭遇できるものではない。

「へへーっ!」と恐縮している店長さんなどを見ていると、祖母が何だか水戸黄門に見えてくる。
もっといえば、祖母の存在そのものが水戸黄門の印籠みたいなもので、大抵の場合「へへーっ!」となってしまうのだ。

そうすると後ろで車椅子を押している自分は何なのだろう、と考えてみた。
ドラマの「水戸黄門」には「助さん格さん」(佐々木助三郎と渥美格之進っていう名前なんだそうです。知ってました?)というお伴の者が登場する。

つづく  

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2010年08月29日

2つの結婚披露宴―ほろ苦き思ひで―Ⅳ(おしまい)

片や300人も人を呼んで大広間で延々とどんちゃん騒ぎ。
片や身内だけで小さな控室を使ってひっそりと。
(私の披露宴など、後半はほぼ父の同窓会の様相を呈してきていた。)

しかもせっかくの記念写真を撮ろうとしていたら、ドカドカと私たちがやってきたために先に譲ることになったのである。

あの日のことを思い出すと、同じハレの日なのに何だかあまりに違いすぎるなあ、と胸が痛い。
誰にだって心おきなくハレの日を祝い、幸せになる権利はあるのだ!

町の名士(?)の馬鹿息子(もちろん私のこと)がワイワイやっているその横で、申し訳なさそうに気を使いながらささやかな式をあげていたあのカップル。
できることならば「その節はすみませんでした。ごめんなさいね。」と謝りたい気分である。

幸いにして私は今、家内と仲良く幸せに暮らしている。(だよね?奥さん・・・)
あの日のあのカップルもそうであることを願ってやまない。

おしまい  

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2010年08月28日

2つの結婚披露宴―ほろ苦き思ひで―Ⅲ

「はて? 今日、式をあげるのは俺たちだけと聞いていたけど…」と私は不思議に思った。

後で事情を聞くと、どうしてもその日でなければ都合の悪いカップルがいたらしく、強引にというよりも、何とか頼みこんで自分たちの式を入れてもらったとのことだった。

そうやって、彼らはようやく式をあげることができたのである。
無理に入れてもらったからか、周りにすごく遠慮しているのだった。

当時は結婚式場の方が売り手市場で、なかなか予約が取れなかったのである。

家内は、式場に入る直前、私たちが披露宴の始まるちょっと前まで使っていた小さな控室で、そのカップルが質素な式をあげているのをチラッと見たと言っていた。
既にベロベロに酔っぱらっていた私はそんなことには気づきもしなかったのだ。

割と冷静に周りを見ていた家内(家内はお酒を飲みませんので・・)から、後でその話を聞かされて、私は「え!」と驚いた。
少し胸が痛かった。

つづく  

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2010年08月27日

2つの結婚披露宴―ほろ苦き思ひで―Ⅱ

「新郎は調子に乗って飲み過ぎないように!」
と何回も母や式場の担当から伝令が来たが、私はそれを全く無視して次々とお酌される焼酎をしたたか飲んでしまった。

途中、家内のお色直しの際に、私も一緒に別室で写真撮影を済ますことになっていた。
ほぼへべれけになって真っ赤な顔をした私は、ドレス姿の家内と撮影室に入った。
すると、あれっ!?別のカップルが撮影中だったのである。

しかし、私たちの姿を見ると彼らはあわてて部屋を明け渡した。
「どうもすみません、すみません。」
という感じで出て行こうとする。
二人プラスその家族も一緒だった。

そのあたふたと慌てる様子を見て、私たちも
「あ、いいんですよ。お先にどうぞ、どうぞ。」
と言おうとした。
しかし彼らは、そそくさと出ていったのである。

撮影スタッフも式場の担当者も別に気にする風もなく「それで当たり前」という感じで、私たちの撮影の作業を進める。  

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2010年08月27日

2つの結婚披露宴―ほろ苦き思ひで―Ⅰ


私の結婚式のときのことだから今からもう30年近く昔の話になる。

大変な騒ぎだった結婚披露宴の中、私と家内にとってはほろ苦いというか少し胸の痛い思い出があるのだ。

私たちの結婚披露宴は、当時父のお得意先であるブライダル企業の結婚式場で行なわれた。
式は大勢の人を招待して、かなり大がかりに開催することになっていた。

私と家内は「あまり大袈裟にしたくはない。」と当初から思っていた。
しかし、私たちのそんな希望とは裏腹に、何となく周りでそういう段取りになってしまったのである。

当時、開業20年を越えていた父は、或る意味すでに町の名士(?)であった。
で、その息子である私の披露宴は、得意先の結婚式場を一日一組だけで貸し切り、盛大に行われることになったのである。
300人近い招待客が並ぶ中、その日の午後いっぱいを使って延々と続く披露宴は始まった。

つづく  

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2010年04月30日

体感時間の長さⅣ(おしまい)

さて、大人になった今は季節のメリハリがなくなった。
子供たちがほぼ成人した今、夏、海や川へ出かけていくわけでもない。
冬、クリスマスや正月に特別ワクワクすることもなくなった。

今は、ただ時間だけがものすごいスピードで過ぎていく。
日常の雑務に追われてハッと振り返ると季節だけが側(かたわら)を通り過ぎている。

何だか1年が今の何年分にも思えた少年時代が懐かしい。
これから私の住む南九州はたちまち暖かくなり、初夏を過ぎると長く暑い暑い夏に入っていく。

小学校時代の夏休みは気が遠くなるほど長く、毎日何をして過ごそうか思いあぐねていた。
入道雲、麦わら帽子、虫取り網、冷たいスイカ、水中眼鏡に花火、子供会、夏休みの友、絵日記…

今思えば、持て余していたあの時間は、豊穣で光り輝いていた季節(とき)のようでもある。

おしまい  

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2010年04月29日

体感時間の長さⅢ

しかし、身体に残っている感覚としては何回も何回もの夏や冬を過ごしたような気がするのである。
まるで違ってしまった体感時間の長さ、或いは短さに愕然としてしまうのだ。

飫肥で過ごしたあの夏や春や冬や秋がたったの2回ずつだったなんて…信じられない、という感覚なのである。

子供の頃何回か、引っ越しや転校を繰り返したことのある人は思い出してみてもらいたい。
私と同じように不思議な感覚に襲われることはないだろうか。
あの場所であの様々な季節を過ごしたのがたったの数年間だったなんて…といったような。

志布志や加治木にしてもそうである。
子供の頃、それぞれの町でそう長く過ごした訳ではない。
だが、かなり長く住んでその間にいろんなことがあったような気がするのだ。  

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2010年04月28日

体感時間の長さⅡ

私が、小学校に入学したのは鹿児島県の加治木町(今は姶良市)であった。
2年生に上がるとき宮崎県日南市の飫肥という町に引っ越した。ここには2年ちょっと住んだ。

そのあと、4年生の時に現在住んでいる志布志町(現在の志布志市)に移った。
尤も、中学で鹿児島市の私立に進学したため、志布志町にも3年弱しか住まなかった。

小学2年生と3年生を過ごした日南市の飫肥は城下町で、古い建物などが多く残る風情のある町だった。
今ではその雰囲気を売り物にして多くの観光客を集めている。

当時は町のそんな観光政策もなく、私たち子供は普通に城跡の石垣や武家屋敷跡で遊んでいた。
城跡を利用した小学校の敷地には大きな古木も多く、春の桜や秋の紅葉もきれいだった。
町を流れる酒谷川で1年中釣りをしたし、夏はその川で水浴びもした。

不思議なのはその春夏秋冬を過ごしたのがたったの2年間だった、ということなのである。
そうなのだ!
今振り返れば確かに2年間でしかない。

小学校近くの神社にあった楠の大きな古木  

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2010年04月27日

体感時間の長さⅠ


4月ももう終わりである。1年の3分の1が過ぎてしまった。
早い!異常に早い!時間の経つのが恐ろしいくらい早いのだ。
新幹線の車窓に映る景色のように時間が後ろに吹っ飛んでいく。

また時間は相対的なものだ。義理で出た会議などは時間の経つのがこれまた異常に遅い。
「とにかく5時になれば終わる。」と自分を納得させていても、時計の針はちっとも進んでいない。
逆に楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。
気の置けない仲間とくっちゃべてる時間などは「えっ!もうこんな時間かよ…」と思うほど早い。

近頃、この時間の速さについて「幼き頃」との比較で考えるようになった。
そうすると、今と昔で時間感覚がものすごく違っていることに気がつく。

私は子供の頃、もの心ついてから小学6年生までに3回引っ越した。
小学校6年間に2回転向して3つの小学校を経験した。
それぞれの学校に2年くらいずつ通ったことになる。

つづく  

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2010年04月12日

エエかっこしい―人事について―Ⅳ

とはいえ、民間会社のトップ人事となると、シビアな現実をもろに背負うことになる。
その後の影響も様々に大きいだけに「どうでもいい」とはなかなかいかない。

ところが、この「どうでもよくない」人事の方が、なかなか当り前の方向に動かないことが多い。

私の事務所などで遭遇する人事の争いは、例えば、出世街道まっしぐらのエリート幹部候補同士が派閥をバックに権力闘争を展開する、といった図式など有り得ない。

ほとんどのケースが、親父が息子にちゃんとバトンタッチできるのか、といったレベルである。
こちらとしては、できればいい形で経営承継して欲しい。

そしてここはひとえに親父さんの度量にかかっている、といっても過言ではない。
中小企業の人事闘争は、普通の場合息子の方が圧倒的に不利なのだ。
そして結論から言えばこの承継がうまくいっていないケースが実に多いのである。

ううっ、いかんいかん、このことを書き始めればまたきりがなくなってしまう。
「エエかっこしい」のテーマと離れてしまうのだ。
経営承継のテーマは改めて書くこととしよう。

本業の業績がシビアな経済状況である。くれぐれも「会務」の人事などにうつつを抜かさないようにしなければならない。

おしまい  

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2010年04月11日

「エエかっこしい」―人事について―Ⅲ


さて、人事に全く興味がない、と言った私だが、いろいろな立場の諸先輩たちに対して、ふてぶてしい態度をとったり、不遜な言動を致しているわけではない。
決して皮肉や当てこすりではなく、こんな社会状況、経済状況の中で(会務や役職を)よく引き受けていてくださる、と感謝している。

ただ、自分がやる気がないだけの話である。

それでは前回とは逆に男は何故かくも「人事」が好きなのか、考えてみた。但し、これは自分と反対のマインドについての推測なのでちょっと難しかった。

・シビアな状況である自分の仕事から離れて何となく楽である。
・何か一生懸命仕事をしているような気分になる。
・他人(ひと)をあれこれランク付けするのはなかなか楽しい。
・肩書きで呼ぶのも呼ばれるのもちょっと気分がいい。
・名刺にあれこれ偉そうな肩書きが書ける。
・会務と称していろんな所へ行ける。

とまあこんなところか。

こう書くと、随分皮肉っぽくなってしまうなあ。(そんなつもりはないのだが…)
男の「エエかっこしい」というのはかくも皮相なものなのか、とも思う。

つづく  

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2010年04月10日

「エエかっこしい」―人事について―Ⅱ

この「人事」という奴は当人たちにとっては極めて重要な関心事らしく、この話はしょっちゅう、しかも延々と続くことが多い。

私のように、こういった話題に全く関心のない者にとっては不思議な世界である。
とはいえ、いい歳をした男で全く関心がない、というのはむしろ少数派であろう。

そこで、何故私はかくも人事に興味がないのか、考えてみた。

・会務(特に業界の)は私の仕事の実利に全く関係がない。
・役職に就いてもほとんど本音が言えない。
・「会」には昔からのいろいろな矛盾点があっても全く変えられない。
・事務手続き的な仕事はもともと好きではない。
・役職(肩書き)をちっとも偉いと思っていない。
・いろいろな役職名を覚えるのが苦手である。

ざっとこんなところか。

こう書いてみてつくづく自分は、「建て前」とか「形式」とかいったことが好きじゃないんだなあ、と思う。
もちろんそれはそれで問題だ、とは思っている。

つづく  

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2010年04月09日

「エエかっこしい」―人事について―Ⅰ



当人たちが極めて真剣になっている割には、他人からはどうでもいいことの代表に「人事」ということがある。

中でも、例えば業界団体の会長なり理事の人事なんて言うのは関係ない人から見ればまさに「どうでもいい」の最たるものだろう。

しかし、これ(人事)が好きな人たちにとっては、この話題は最高の酒の肴のようである。

夜ごと繰り返される懇親会や居酒屋の宴席では
「大体、○○さんが今度の会長、てのはおかしいんだよ。本来なら××さんだろう?○○じゃあ10年早いってんだよ。」
「そうそう、○○にくっついてた理事の△△がいろいろ裏工作したって言う噂じゃないか。あいつも次の次を狙ってんじゃないの。」
「そこなんだよ問題は。そうなると会の流れが俺たちに不利な方へ行っちゃうよなー。このあと××さんの芽は完全に無くなるぜ。」
「○○も△△も会務では、何の雑巾がけもしていないくせによー。」

下手なシナリオで申し訳ないが、こんな感じのやりとりが繰り返されているのではないか。

つづく  

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2010年03月31日

スバルにエールを送るⅤ(おしまい)

かつて、世界を(特に欧米を)震撼させたゼロファイター(零戦)のデビューから数十年の時空を越えて、WRCというステージで再び世界に衝撃を与えたスバルのことだ。
その技術力を持って再び「何か」を私たちに示してくれるだろう。

それまで、この雑誌(ブルータス特集号)はバックナンバー(あればの話だが)でも手に入れて、スバル関係者は落ち込んだ時には読み返すといい。
きっと、
「スバルらしさとは何を目指すべきなのか?目線を高くあげて決して妥協はしないぞ!」
という原点を思い返し、元気づけられることだろう。

おしまい  

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2010年03月30日

スバルにエールを送るⅣ

とはいえ、車を取り巻く社会状況もすっかり変わってしまった。
地球環境保護の問題が何ものにも優先される。
HV車に電気自動車、今ではエコカーでなければ話が始まらない、という雰囲気にさえなっている。
(その点、スバルは素晴らしいディーゼルエンジンを持っているらしいから、早く日本でも発売して欲しい。)

今どき、高出力のエンジンをブォンブォン吹かすのは大人のやるこっちゃない、と白い目で見られることだろう。
ま、確かにその通りだ。
走りを追求するスバルとしては辛いところである。

それでも、かつてこんな風にリスペクトされていたという事実に誇りを持つべきである。
(もちろん、今でもスバルをリスペクトしているファンは世界中にいるとは思うが…)

つづく  

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